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歴史の郷 浦柄の紹介
位置 新潟県小千谷市の東北に位置し、長岡市に隣接しています。
山古志への入り口です。
世帯数 地震前で71世帯
特産 錦鯉ほか
史跡・観光 戊辰戦争の激戦地朝日山があり、その史跡保存活動を継続しています。
ここでは北越戊辰戦争の激戦地になった
朝日山古戦場を中心に写真で紹介します。
浦柄神社境内にある山本五十六中将書による
戊辰戦跡記念碑、被災したしたため新しいこの場所に移転
朝日山山頂の石碑、横は戊辰120年の墓標 浦柄神社にある朝日山殉職者墓碑
夏の記念館 紅葉を向えた記念館
塹壕跡 案内板
夏のもみじ 紅葉のもみじ
山頂広場 記念館屋上貯水層下にすずめ蜂の巣、要注意
山頂広場 意外ときれいな紅葉
小粟田方面 何の木?
長岡方面 山頂整備に植樹したぶなも紅葉
観音様 広場の紅葉


 

朝日山殉職者墓碑案内板の記載内容


 慶応4年(1868年)511日から、ここ朝日山をめぐる攻防戦が始まった。
前日、浦柄村(小千谷市大字浦柄)をはさんだ榎峠で、東軍と西軍の戦いがあった。その榎峠を長岡藩兵等の東軍が占領すると、戦いは榎峠を見下ろす朝日山に移った。
 朝日山を奪取した会津・桑名・長岡の各藩兵、それに衝鉾隊は、大砲を山頂にあげ、西軍陣地を砲撃した。

西軍は朝日山をとろうと、たびたび攻撃した。とりわけ、513日早朝の長州藩奇兵隊を中心とした攻撃は、激しい戦いだった。参謀時山直八など多くの西軍兵士が命を落とした。その遺体は、小千谷に送られ、のちに船岡山の墓地に改葬された。
 朝日山の戦場は、519日、信濃川を強行渡河した西軍が、長岡落城に成功すると、にわかに戦いの要衝としての位置を失った。東軍兵士たちは、朝日山の陣地から離れ、戦いの場は蒲原の地に移っていった。残されたのは、戦死した東軍兵士の遺体だった。

戊辰戦争が終わり、西軍が勝利すると、明治政府は遺体のとりかたずけを禁じた。なかでも旧会津藩兵にはきびしい放置を命じた。遺体は朝日山の各所に朽ち果てるままになった。これをみた小栗山村(小千谷市大字小栗山)の福生寺住職や浦柄村の人びとが、昭和28年に戦死の地に墓標をたて、遺体を手厚く葬るとともに、この地に22基の石碑を建立し英霊を祀った。今も浦柄町には史跡朝日山を守る史跡保存会があり、墓地や史跡を大切に守り伝えている。

なお、戦死したなかに、会津藩白虎隊士新国英之助(16歳)がいる。この墓標は、戦後20数年を経て、父がその遺体を探し当てて建立したものである。

小千谷市教育委員会